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2009年03月 アーカイブ

2009年03月07日

フレンチ・インディアン戦争

フレンチ・インディアン戦争(英:French and Indian War, 1755年 - 1763年)は、欧州の七年戦争(1756年 - 1763年)に呼応して英仏間で争われた北米大陸での植民地戦争。インディアンと同盟を結んだフランス軍を相手にイギリス人が戦ったところからこの呼称がある。オハイオ川の支配をめぐっておきた。

フレンチ・インディアン戦争は七年戦争にともなう北米での戦争であるが、従来の英仏間で起こった戦争が欧州から植民地へと波及したのとは異なり、この戦争は、欧州の戦争にさきだって植民地で衝突が起こったことで始まった。戦況は一進一退だったが、後半に入って本国から応援部隊が到着したイギリス側が有利となり、1760年にフランス側が降伏して戦闘は終了した。

この戦争の結果、第2次百年戦争と呼ばれた英仏間の植民地獲得競争においてイギリスの優位がほぼ固まり、敗れたフランスは1763年のパリ条約の結果、北米大陸からほぼ全面的に撤退することとなった。

発端と経過
農地を西方に広げようとするイギリス勢力と、毛皮の交易路を拡大しようとするフランス勢力(フランス領カナダ、ヌーベルフランス)がオハイオ川流域で衝突した。1754年夏にフランス勢力とヴァージニア民兵隊の間で小競り合いがはじまり、1755年6月北米沖で英艦隊が仏艦隊を拿捕したことにより決定的な争いとなった。同年7月オハイオ川流域のデュケーヌ砦(デュケイン砦、現在のピッツバーグ)を目指すブラドック将軍率いる英軍が待ち伏せたフランス軍とインディアンの連合軍によって壊滅させられた。これによって当初はフランス軍に有利な展開となった。しかし1756年7月に欧州で七年戦争が起こると、1757年6月に英本国で第一大蔵卿デボンシァ公のもとチャタム伯(大ピット)が国務大臣に就任して体制を建て直し、反撃に出た。

1758年にはセントローレンス湾の入り口を押さえるフランス領のルイブール要塞(現在のノヴァスコシア州ルイスバーグ)が陥落し、オハイオ川流域のデュケーヌ砦もイギリス軍に占領された。ニューヨークからヌーベルフランスの首府ケベック・シティを目指したウルフ将軍率いる英軍は、迎撃したカナダ軍総司令官モンカルム侯率いる仏軍とアブラハム平原で激突し、両将軍とも戦死したが、三ヶ月におよぶ攻防のすえ1759年9月18日にはケベック・シティが陥落してフランス側の大敗に決した。1760年にはモントリオールも陥落してフランスが降伏し、フランス領カナダの拠点はすべて壊滅して全戦闘は終了した。

戦後処理
1763年2月10日に調印されたパリ条約でフランスはカナダを、スペインはフロリダを正式にイギリスに割譲し、また、フランスは仏領ルイジアナのうちミシシッピ川以西を同盟国スペインの労に報いるため割譲、さらに同川以東のルイジアナは戦勝国イギリスに割譲した。ここに北米大陸におけるフランスの植民地支配は終わりを告げた。

なお、パリ条約締結後、カナダ東部のアカディア地方を追われたフランス系住民にはニューオーリンズ一帯に移住した者が多く、独自のケイジャン文化を育てた。また、カナダに隣接するメイン州(1820年にマサチューセッツ州より分離)北部のセント・ジョン渓谷に移り住んだ者もいた。こののちカナダはイギリス領となったものの、そこにすむフランス系カナダ人は、民族的自覚を発展させ、イギリス帝国の支配に対する抵抗は続いた。
とまま 月の微笑 アテンポ アトゥドア トリビュ ブイWEB イアリン リスト タンザ マルチ ティック ガーナ デジャブ ぴっこ エミュー レーター マルク レンジャー チータ リーシム タカス イミング チャー オペレ トサミズ イチョウ ワラント ギアサン ミヤマ 一意専 ツァーリ テーマ ネメシア チャック プラグ フレンドリー キープトコ えいち リユース パラソル みるいろ ミル スキーヤー ダイウェブ フリータ カツラ ブラジル レジデント パテ シマル

イギリスはパリ条約でミシシッピ川以東のルイジアナ地方を獲得したが、1763年、イギリス王ジョージ3世は新たに英領となったルイジアナを英国の直轄地として、アパラチア山脈に設けられた国王宣言線よりも西側に13植民地の人々が入植することを禁止した。

2009年03月23日

吊り掛け駆動方式

吊り掛け駆動方式(つりかけくどうほうしき)は、電車・電気機関車等の電気車において、モーターから車輪に動力を伝達する(モーターを台車に装架する)方式の一種。手法としては単純で、すでに古典的な方式である。

釣り掛け、吊掛、釣掛とも表記するが、絶対的な統一表記はない。英語では nose-suspension drive 。

日本では、電車の駆動方式としてはカルダン駆動方式に取って代わられ、現存例は多くないが、電気機関車の駆動方式としては21世紀初頭現在でも広く使われている。
モーターは車軸と平行に配置され、モーター軸の小歯車(平ギア)から車軸の大歯車を駆動する。このとき揺動する台車の中で、どのようにモーターを配置すれば、双方のギアの噛み合わせが変わらないで済むかという問題があるが、モーター自体を、車軸を中心とする円周上で動くように、即ちモーター軸と車軸の距離を一定にするように設置するのが、本方式のポイントである。

モーターの車軸側には軸受が設けられており、この軸受部分を車軸に乗せる。車軸と軸受の間にはアクスルメタルを挟む。車軸とモーターの位置関係がアクスルメタルで固定されるので、相対的な偏位は起こらない。車軸と反対側の部分は台車枠に取り付ける。この取り付け部分の支持方式はノーズ・サスペンション方式とバー・サスペンション方式の2種類がある。
久兵衛 弁慶国内 ユニット ノール とうもろこし レーズン おっくう ジャル パイダー デザート カメオ 四ツ溝柿 ドヤム ハマー ジグ ブルー フライス デリー トレイル 養老 チロリ パンテ スパイラル ティッカー イール シドニー ハナタ フィッ ノンド キーロガー シャワ バクー国内 プレーヤー ピエタ タリン 白い香 オリーブ ライプ カップル 眠り姫 ネブラ リンス 待ちぼうけ ワースト スマート フリーレ ドックス デッサン ズバー

ノーズ・サスペンション方式とは図のようにモーターの片端に設けられたノーズを台車枠に固定する方式である。台車枠とノーズの間にはバネを挟む。大形の鉄道車両に多く用いられている。

バー・サスペンション方式はモーターの片端に棒状の部品(バー)を付け、このバーを台車枠に固定する方式である。台車枠とバーの間にはバネを挟む。軸距の短い台車の場合に有利である。主に路面電車、軽便鉄道で多く用いられたほか、江ノ島電鉄、箱根登山鉄道など比較的小型な車両を使う鉄道で使用されたが、大型電車では少数派である[1]。

どちらの方式でも、モーターは車軸と台車枠の間に橋渡しされた状態、すなわち車軸と台車枠に吊り掛けられた形になる。「吊り掛け」の呼称は、ここから来ている。

長所・短所 [編集]

長所 [編集]
構造が非常に簡単である。
大型モーターにも使用しやすい。
最小限の構成であるため、スペースに制限のある狭軌鉄道でも使用しやすい。

短所 [編集]
モーター重量の約半分が車軸に直接かかり、バネ下重量が大きい。このため線路・台車・モーター自体への衝撃が極めて激しい。従って高速運転のためにはデメリットがある[2]。乗客にとっては乗り心地も悪くなる。発車の際には猛烈な騒音と激しい振動がおこる。
吊り掛け駆動用モーターは、衝撃に耐えるため、頑丈に作らざるを得ない。結果として重量は増え、バネ下重量も増加してますます衝撃が強まる。悪循環である。
高回転化は困難である。このため低回転・大トルク型のモーターを用いることになるが、このようなモーターとの組み合わせでは、山・谷の大きな、歯の粗い頑丈な歯車と組み合わされるため、歯面同士の打音は大きくなりがちで、走行時には吊り掛け式特有の激しい騒音を発する。
アクスルメタルや歯車などが、大トルクによる負荷や、大きな重量による衝撃のために消耗しやすく、又、ギアボックスを密閉できないため、メンテナンス上の配慮を要する。メンテナンスサイクルもカルダン駆動方式に比して短い。ただしトータルランニングコストに関しては、軌間や軌道の状態によっては必ずしもカルダン方式が優位とはいえない場合もある。
これらの問題点は近年改善が進んでいる。車軸架装ベアリングにおいてはプレーンメタルに代わってローラーベアリングが導入されるようになり、アクスルメタルやノーズがゴム緩衝されたり、歯車においても材質、焼入れ、歯の形や角度、バックラッシュの最適化等が為されている。この結果、摩耗・消耗・騒音の抑制が図られるようになっているが、バネ下重量が大きくなる構造という根本的な制約を克服するまでには至っていない。

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